パラオ・ペリリュー島 訪島
先日、私が所属している(公社)日本青年会議所関東地区協議会の事業で、パラオに行ってきました。
日本からも飛行機で直行便であれば4~5時間程度で行ける南国リゾートの人気のある国です。
今回は日本人としての精神性を学ぶため、激戦地での痕跡を肌で感じることで、国家観を醸成することを目的として行ってきました。
成田空港からグアム経由でパラオに入り、コロール島で滞在。
島内にも朽ち果てた戦車が横たわっています。
ペリリュー島へは船で40分程度南下したところにあります。
まずはペリリュー島の港に日本語で書かれたウエルカムボードを発見
最初の目的地はペリリュー小学校です。日本で使用しなくなった野球道具を贈呈しました。パラオ語で「野球」のことは「やきゅう」と言います。パラオでも国民的スポーツだそうです。子ども達がそれぞれ野球道具を手にとり、本当に嬉しそうな姿が印象的でした。
ペリリュー島内はバスに乗車し戦跡を観てまわりました。
アメリカ軍の水陸両用戦車。砲台は無かったが、火炎放射機がついており、放射距離は120m先も焼くことができたそうです。
戦争映画を観るとこの型の戦車でアメリカは上陸してきています。
大東亜戦争時の陸軍指令室跡地。大戦時、暑さ対策として壁面は無い造りだったそうです。
西太平洋戦没者の碑。ここから3,400km先の日本の方向を向いているそうです。
上皇陛下が献花、慰霊に訪れ、有名になった場所でもあります。
最終日にはコロール島の老人介護施設を訪れ現地の方と交流を深めました。日本統治の時代もあった為、ご高齢の方は日本語がとても上手です。本当にきれいな日本語を使われているのが印象的でした。
「ほたるの光」も五番まで歌え、「君が代」も一緒に歌ってきました。
ペリリュー島の戦いでは、戦死者、大日本帝国10,900人、アメリカ軍2,336人 大日本帝国側の生存者は34人。
ペリリュー島の戦いの中心として戦った、第14師団は北関東の方が中心に構成されており、友人の大祖父もペリリュー島の戦いに参加し、捕虜として帰還。または戦死した話も聞き、とても繋がりの深い場所だと実感することができました。