自然豊かな田舎道
青く澄んだ空に、くっきり見える雲。道路の両側には田んぼや緑。こういった景色は空気のきれいな地域でしか滅多に見られることはないと思います。
車を走らせながらもその地域に咲く花や自然を見ることで自分の心が洗われるような感覚になります。
最近の異常なほどの気温の上昇でなかなか外に出る機会も少なくなってきているとは思いますが、ちょっとした散歩がてら、自然に触れてみるもの良いですね。
自然溢れる情景
青く澄んだ空に、くっきり見える雲。道路の両側には田んぼや緑。こういった景色は空気のきれいな地域でしか滅多に見られることはないと思います。
車を走らせながらもその地域に咲く花や自然を見ることで自分の心が洗われるような感覚になります。
最近の異常なほどの気温の上昇でなかなか外に出る機会も少なくなってきているとは思いますが、ちょっとした散歩がてら、自然に触れてみるもの良いですね。
自然溢れる情景
7月下旬に某団体の会議があり、会議終了後の懇親会が納涼屋形船での宴会だった。
屋形船は平安時代から貴族の遊びとしてあったようだが、全盛期は江戸時代にもっとも栄え、大名や豪商などの花見や月見と花火などの遊びに愛用されたが昭和になり第二次世界大戦や河川の水質汚染により勢いを失い最近になって水質や河川環境の変化により見直されたようだ。
今回は約30人で江戸川の一之江乗船場を出発して葛西臨海公園からお台場、そして隅田川と3時間のコースでお刺身や揚げたて天ぷらなどに舌鼓、飲み物もビールや焼酎、ワインなど飲み放題!心地よい川風を受けながら粋な時間を楽しんだ。
お台場で停船してゆっくり夜景を堪能し料理を楽しんだ。
山の麓にある小さな神社の祭りが毎年7月にあり山車が1台出ますが、今年は班の当番で山車引きに参加してきました。そこであった人から昔のことを聞かれ、思い出話で盛り上がりました。
昔は2日間行われ、山車が回る地区も今の倍、おかめ・ひょっとこが各家を回りお札代わりの花を配って歩き、学校も半日で休みになったので山車を引く子供たちの「わっしょい、わっしょい」の声で賑やかな祭でした。
今は子供が減ってきているのに加え担い手不足、祭本来の事にも理解が得られずに、地区の住民からの苦情により禁止事項が多くなって規模が半減してしまったのです。
だんだんと参加する人が減り山車引き当番が出来たのです。当番だからと、歩くのもやっとの年齢の人が多くを占めている状況で不安も残りましたが、太鼓の音色には今でもわくわくしますし、わずかな時間子供の頃に戻って楽しんできました。
今のスマートフォンのカメラはとても高性能です。プロの知識があり、構図や光加減が分かっていれば誰でも上手な写真を撮ることができます。先日、面白いものを発見し衝動買いしたものがこれです。
スマホのカメラレンズ部につけるレンズです。広角、魚眼、マクロの3種類です。
スマホのカメラで写真を撮ることも多いので、しばらくは楽しめそうです。
梅雨の時期になると咲くのがこの紫陽花。
あまり知られていませんが、紫陽花には毒があります。
花言葉は、 元気な女性、辛抱強い愛情、一家団欒、家族の結びつきと前向きなものが多くあるそうです。
じめじめした梅雨の時期にべたべたとして気持ちが悪いかもしれませんが、紫陽花を近くで見てみてはいかがでしょうか。
紫陽花
沖縄の終戦70周年の慰霊祭が行われた翌日の6月24日に糸満市にある平和祈念公園に行って来ました。
沖縄戦最後の激戦地摩文仁(まぶに)には終戦終結50周年を記念して建設された、「平和の礎」には国籍、軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなられた一人ひとりの氏名が刻銘されていてその数は2015年6月現在で241,336名にのぼっています。
日本は北海道から沖縄県まで約23万人、残りが外国人です。眼下にはコバルトブルーの海が広がり観光地が多勢闊歩していますが、多くの人々の犠牲があり、いまの平和があるということを深く認識し、戦没者に追悼の意を表し世界の恒久平和を願いたいと思いました。
沖縄戦で亡くなられた人々の刻銘の碑が並ぶ平和祈念公園
平和祈念公園の下にはコバルトブルーの海が広がる
私の家の駐車場にて今時珍しい蛍がいました。
昔は家の周りにたくさんの蛍がいましたが、今は滅多に見かけることがありません。
私も何年も見ていなかったのですが、やはり蛍の光はとても美しいものですね。
環境の変化によりこういった自然の生き物が減ってしまい、とても残念です。
私たち人間だけではなく動物や昆虫、植物も共存しているということを忘れてはいけませんね。
1匹の蛍
私が所属している婦人バレーボール部の春季大会が開かれ、今回は郵便局長杯として3日間で10試合を行い、熱い戦いが繰り広げられました。まだ寒い2月頃に知り合いの郵便局長から、郵便局主催の大会を開きたいとの連絡があり、だんだんチーム数が少なくなっていく中で活発な活動が出来ればと思い、二つ返事で申し出を受けました。部員の皆も大喜びで参加してくれて本当に良かったなと実感しています。秋の大会にも協賛してくれる会社があり、恵まれた環境で試合が出来ていると思います。チーム数、人数共にギリギリで活動していますが、無くならないよう自分も体が動く限り、続けていきたいです。ちなみにこの大会、私たちのチームが優勝です。ン年ぶりの優勝に歓喜しました。
先日、宮城県山元町に1年ぶりとなるボランティアで行って来ました。山元町は宮城県の最南部に位置し、福島県と隣接する町です。ここは東日本大震災発災後、見捨てられた町とも言われ、町を縦断する常磐線を境に海側での居住は認められていない地域です。
私が所属する那須野ヶ原青年会議所で、2年前に「みんなのとしょかん」というコミュニティスペースを設置しました。地域の方々で運営をされていて、今でも地域の中核を担うコミュニティスペースです。そんな、みんなのとしょかん@山元に今回は花の苗、野菜の苗2,000株を持っていくことができました。私たち青年会議所メンバー4名、OBメンバー3名と、今回は国際医療福祉大学IUHWボランティアセンターの学生3名、そして、地域の方々とみんなのとしょかんの花壇を整備しました。
今回の山元町訪問で多くの事を考えさせられました。震災後は数多くのボランティアが入ったと思われますが、風化しているものはないか...。どこの団体が設置した物かわかりませんが、震災後にボランティアに入ったことを誇示するかのように看板や立札を設置し、その後のフォローができていない。やりっぱなし。言い方は失礼かもしれませんが、今となればただのゴミのような物も。
そして、今回ボランティアとして行く意味よりも、そこに友人、仲間がいるという気持ちの方が強かったと思います。それでいいと思います。
みんなのとしょかん@山元
花や野菜の苗が沢山です。
最後に海を見て来ました。防波堤が出来ていました。
津波を経験した方は震災後まだ海を見れたい方も多いそうです。
昔の会社でお世話になった上司が都内から、古都鎌倉に引っ越したので、引っ越し祝いを兼ねて鎌倉へ足を伸ばしてきました。
鎌倉は奈良や京都に並ぶ政治の中心地として、また日本初の武家政権「鎌倉幕府」の誕生の地として独自の文化を生み出し、いまなお観光都市として数多くの「歴史のある寺社」に観光客が訪れています。
今回は時間もあまりなかったので、鶴岡八幡宮と江の電の鎌倉駅から続く「小町通り」を散策して来ました。ちょうど修学旅行のシーズンで多くの小中学生の姿で溢れていました。本当は鎌倉観光の人気ナンバー1の長谷寺まで行きたいと思いましたが、帰りの新幹線の時間もあり、次の機会にゆっくりと訪れたいと思いま した。
鶴岡八幡宮には大勢の修学旅行生が。
江の島にも近いのでシラスのタコ焼きが小町通りで売っていた。
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